エシカルファッションの直面する問題
Ethical: 道徳,倫理上の + Fashion: ファッション
と,各々の単語を理解してしまえばエシカルファッションという言葉の定義はおおよそイメージ出来る。
それは,倫理的なファッション
背景には,ファストファッションブランドによる大量生産をルーツとした,発展途上国での雇用問題,またルーツを同じくして,水質汚染や二酸化炭素排出量の増加といった環境問題が考えられる。これらを問題意識と捉えて,数多くの解決策が講じられつつある。それをまとめてエシカルファッションという集合に属するものと考えた。
例として,サクッと3つの取り組みを以下に示す。
(1)FEED BAG
バッグを購入→アフリカの子供へ給食を与えるための資金
(2)Stella McCartney
動物素材を使用しない
(3)Lee
デニムのウォッシュ工程を見直し,プリントによるダメージ加工の提案
((1)及び(2)は,http://www.fashionsnap.com/inside/ethical-fairtrade/ より。(3)は,http://wash-me.jp/lee_denim_interview より。どちらも2016/09/06アクセス)
これらは全てがエシカルファッションと呼ばれるもので,ひとつひとつの取り組みは違えど,確かに倫理に適ったファッションの方法である。
こうしたエシカルファッションをブランドに添えたり,プロモーションに採用したりすることで,そのブランドあるいは企業はポジティブに再評価されるようである。
世界の貧困問題には,それが深刻な発展途上国のみならず,先進国も取り組んでいかなければならない。また,地球環境にインパクトを与えないためにも,グローバルな基準が採択されてきており,それに準じた活動も必須となってきている。そこにファッションという視点から切り込んだエシカルファッションは確かに,取り組むものをポジティブに評価するに値する。
ここのところ日経新聞を賑わすESG投資は環境,社会,企業統治を投資判断の基準に組み込んだものである。エシカルファッションへの積極的な取り組みは,投資家へのアピールに繋がるということが間違いない。端的に,国家,企業及びブランドと投資家とはこの観点で結ばれていると言える。
このエントリーで主張したいことは,別にエシカルファッションに問題があるとか,エシカルな奴らの住所はやっぱり下北沢や吉祥寺だとかではない。
エシカルファッションに取り組むものの多くが消費者を考えていないということである。
エシカルファッションに取り組む企業及びブランドの消費者とはその殆ど,恐らくは90パーセント以上が,服を着て,流行をある程度追いかけて,コーディネートに時間をかけることが出来るほど充足した生活を送っている。とは言え,流行を考えたり,自分のコーディネートを思索したり,消耗品である肌着やいくつかの製品を購入するに当たって,その判断基準の中でエコ,エシカル,グローバルフレンドリーというような要素が占める割合はどれぐらいなのだろうか。流行っているから,コーディネートに必要だから,好きなブランドだから,着倒したから…。一体どうして,水質汚染の軽減のこと,発展途上国の子供たちのご飯のこと,二酸化炭素排出量の削減のことを考えて服を買うのか。
消費者にとって,エシカルファッションという崇高なコンセプトは,ファッションをギブする側の人間によって,グローバルなトレンドに担保されただけの対外的なムーブメントに過ぎないのである。勿論,このエントリーをご覧になられている皆さまはどうにかファッションに関する理解があるであろうから,対外的だとは感じていないかもしれない。しかしながら数多くの消費者はエシカルファッションを,その偉大なコンセプトをどうにも自分ゴトに出来ずに,結局のところ下北沢や吉祥寺に住んでるアートフリークの古民家を改装したレンタルスペースで開かれた個展の様な振る舞いをしてしまっている。平たく言えば,ただの意識高い系で止まっている。
エシカルがグローバルなトレンドであることに疑いようは無い。エシカルファッションは広く認知されて,消費者の購買行動,消費行動に至るまで影響を及ぼすべきである。
ただ,現時点でエシカルファッションは消費者のインサイトを捉えきれておらず,独りよがりなマーケティングキャンペーンと化している。
エシカルファッションに関する問題意識はここにあって,消費者のリテラシー向上からサポートする体制を構築する必要がある。
エシカルファッションはありがたい。と,宗教じみた感覚で終わらせてはならない。だから下北沢にも吉祥寺にも住まない僕がここで,このエントリーを投下する。