服飾方法論

ライフスタイルを包括的に考える

若年層のシルバーアクセサリー事情

最近のシルバーアクセサリー事情

 理由はわからないが,シルバーアクセサリーを身に着けている男性が少ないように思える。確かに社会人ともなれば,スーツを着用して,ネクタイを締めて,この時期ならばコートを羽織らなくてはいけないわけで,シルバーアクセサリーの着用が結婚指輪以外で許されている状況はなかなか見つからない。一方でアパレルの店員は,そのほとんどがシルバーアクセサリーをじゃらじゃらさせながら店頭に立っている。

 シルバーアクセサリー着用者と非着用者という両極端な例はここで置いておいて,大学生や,休日の男性に焦点を絞ってみよう。何分,自分が比較的若いために,若年層のインサイトを考えるほうがやりやすい。それでは,実際に若年層のシルバーアクセサリー事情はどのような感じになっているのか。ここで若年層というのは大体20から30代の男性としよう。このターゲットは,つい最近まで保守的であるとか草食系男子であるとみなされて,しかもそうしたイメージが先行してかわからないが,服装も似たり寄ったりなものになった。ここで気を付けておきたいのはこのターゲットの服装がコンサバティブであるというわけではなくて,彼ら自身がコンサバティブであるために,他の人との同調性をファッションという観点から保とうとしているということである。例にとって代表的な服装は,キャメルのチェスターフィールドコート,赤や青などの鮮やかなニットセーター,白のオックスフォードシャツにデニムを合わせたようなものである。足元はニューバランスか,しょうもない革靴。

 こうした同調的ファッションが選択されていく中で,特異点になりうるアクセサリーはコーディネートの選択肢から外れていった。例えば,ウォレットチェーンやブレスレットなど。こんな状況にもかかわらず若年層ご用達ブランドのWEGOGlobal Work,HARE,RAGE BLUEなどが展開するアクセサリーはその除外プロセスには入らずに済んでいたようである。だからこそ,フェザーモチーフのブラスやビーズがレザーに通されたような,チープなブレスレットやネックレス,チョーカーなどは選択的に採用されているわけである。一方でシルバーアクセサリーはその勢いをまるでkitsonのように殺していった。

シルバーアクセサリーに対するイメージ

 俺は選択的にシルバーアクセサリーを着用している。理由はわからないけれども,しいて言うならば男らしいし,ないと落ち着かない。ネセサリーでエッセンシャルなのである。まあ大方主観的なものであるが。ところが周囲は全くそうでもないらしい。シルバーアクセサリーはちゃらいという意見もあるし,とりあえず指輪をしているようなやつもその素材はおおよそブラス。使っているうちに変色するし,独特の臭いが発生してくる。そんなことは気にしないでとりあえず着用しておけばいいかなというようなものなのであろう。つまり,アクセサリーは着用する,もしくは恣意的に着用することは可能であるのだが,それがシルバーである必要はないということである。

 寧ろ,銀という原材料に高価であるというイメージを重ねてしまっているから,輪に欠けてシルバーアクセサリーへの購買意欲が下がっているようである。実際のところ銀はそれほど高価な素材ではなくて,単にCHROME HEARTSやGood Art Hlywoodが販売するアクセサリーの値段がぼったくりレベルで高価であることがそうした印象を助長しているのであると個人的に解決している。

ミニマリストというエスケープメソッド

 加えて,ミニマリストというトレンドが巷で話題になり始めたことも気にかけるべきなのであろう。無駄なものは買わないし,着用しない。むしろ捨てているわけだけれど。これが若年層のシルバーアクセサリーへの意欲を減少させる一因になっているのである。誤解の無いように言えば,シルバーアクセサリーを着用しない理由が問われたときに,ミニマリストについて言及することで対外的に説得力が増すということである。必要ないから買わないといえば,お金がないとか興味がないとかそうした理由よりも明確に拒否的な姿勢を示すことが出来る。なんといってもトレンドがそれを保証しているから。

これからも下火に

 こんな感じで若年層はシルバーアクセサリーに対して魅力を感じなくなっていることは間違いないといえる。もちろん特異点的に,シルバーアクセサリーに熱狂的に惹かれる輩もいるが。それはマイノリティなコミュニティであって,大多数の面舵はシルバーアクセサリーを着用しないことを選択的に意識するということで間違いない。