服飾方法論

ライフスタイルを包括的に考える

スーツをトイレに流せるかっていう話

 所用があってスーツを着た。ここのところスーツを着て外出しなくてはならないような用事もさほどなく,最後に着たのは7月のはじめ辺り。その時もパンツにビズポロだったから,ジャケットしっかり着てネクタイを締めるようなスーチングはとりわけ久しぶりだった。

 ーツを着ると気分がシャッキリするのはおそらく日頃スーツを着ないからなんだろうな。毎日着てたら特に何かを感じることはなく,着てなくてはならない程度のパンツとかブラジャーとかそういう最低限のものと一緒のレベルまで落ちるのだと思う。そのレベルというと,消耗品で毎年買い足しはするし,処分だってする。この前は酔った勢いで水洗トイレに自分のパンツを流してみたけれど,普段から自分に密着しているパンツが勢いのある水に巻き込まれて,そこそこに回転しながら吸い込まれていく様はとてつもないシュールさでもって面白さが保障されていた。もしも,酔った勢いでパンツをトイレに流しそうになったらその勢いは殺さない方がいいかなと思った。

 酔った勢いで流せるほどのものにまでスーツがレベルダウンすることが間違いないならば,並の財力しか持たない僕のような人間にはスーツにお金をかけるのは何か違う。所詮そのレベルで抑えておきたいから。汗が染み込んで,居酒屋くさくなって,パンツをプレスさえしないようなスーツに何十万もかけてられない。ローンの返済や養育費,交際費や諸々の費用でそこまで手が回らないからね。

 この点で言うと,AEONがスーツを販売していることはそのマーケティングに於けるターゲットのインサイトを的確に把握しているのではないかと思う。それにも関わらず,AEONのスーツが意外にも普及しないのは何故か。それは本質的にインナーと同じであるスーツが着用者のバイアスで少なくともインナーよりもレベルの高い存在へと昇華されているから。スーツをトイレに流すことができるレベルにまで下げることが出来ればどうなるか。それほどの財力があると逆に証明されるのではないのかな。