服飾方法論

ライフスタイルを包括的に考える

「固め,濃いめ,多め」なミリタリーを

ミリタリーは永遠

 メンズのトレンドとしても,ウィメンズのトレンドとしても2年に一回ぐらいのペースでミリタリーが流行ってくる。閏年でさえも4年に1度であるというのに,人前に出てきたがる性分なのであろう。例えば,ウィメンズでは2015/AWから引き続き「MA-1」というタイプのミリタリージャケットがトレンディなアイテムであるとして定着しつつある。一方でメンズではミリタリー自体がトレンドとして認知されているわけではないにしても,ウィメンズのそれを追ってか追わずか,ミリタリージャケットは数多くのブランドがリリースしているし,さらに言えばトレンドカラーの1つに「カーキ」がある。ちょっと昔に,マチ無しでグッと細身のカーゴパンツが流行っていたことから分かるように,コーディネートあるいはスタイルを構成するための1つのエレメントがわけもわからずミリタリーへと繋がってしまうことはどうやら定石であるようだ。

 そんなこんなで,ミリタリーというエレメントはメンズあるいはウィメンズのトレンディなスタイルに少なからず息をひそめながら生きながらえてきていて,既にそれをトレンドとして提案することは何らかの罪の意識を持たないと胸を張ることさえもままならないような状況に陥ってきたわけである。

ミリタリーの歴史とかではなく

 何故,ミリタリーに限ってこうして長い寿命を全うしながらファッション業界のほぼ最先端に居ることができるのであろうか。あまり深く考えてこのエントリーを書いているわけではないから,恐らく数多くの答えの中の1つであり,しかも推論の域を出ない次の一言には信憑性など全くなく,気が付けば閏年であってどこか1日得したような,あるいは損をしたような気持ちでもって咀嚼して欲しいものであるが,それは「時代は快適さを求めてきた」ということである。決して,その長い歴史的に保証された伝統的な何かや権威的な何かが力を作用させているわけではなく,ファッション業界によって適度にモダナイズされたミリタリーウェアというものが,日を追って発展していくテクノロジーによってさらにブラッシュアップされたことが快適さを求めてきた現代の人々のニーズ,志向にマッチしてきたからということである。

 「コンフォート」とか「スポーティ」というものはついこの前までトレンドの代表格としてその存在感を前面に押し切っていたわけで,スウェット生地のパンツやセーターというものは今季でもトレンディなコンテンツとして知られている。トレンディであるということがミリタリー(というよりはミリタリーチック)なウェアをファッション的に保証しているという事実は明らかだろう。

男の潜在的欲求

 男というものは実に単純で,分かりやすい生き物であるらしい。少なくとも自分はそうである。というのもシルベスター・スタローンによる「エクスペンダブルズ」シリーズには憧れを隠せないし,小島秀夫ディレクションを執りながらリリースしてきたメタルギアシリーズもそうである。最近でいうとアメリカのドラマである「ウォーキングデッド」がホット。こんな感じで闘い,潜入,そしてサバイバルには何故か心惹かれてしまうのである。別に戦争が好きであるとか,ゾンビが好きであるとかではないし,言うまでもなくミリオタというわけでもない。それでもやはり心惹かれてしまうのは男という生き物が潜在的にそうしたものに惹かれてしまうからなのではないかと思う。とはいえ35億を超える母集団の中から意図的にサンプリングした1つであるから,先の仮説の真偽は不明である。

 このままサンプル数1の状態で話を続けると,それこそエクスペンダブルズでキャストが来ていたような服装に身を包みたくて仕方がないということである。コンバットブーツにカーゴパンツをインして,黒とかカーキのヘンリーネックTシャツをほどピタで着たい。ミリタリーがトレンドによって保証されているのにも関わらず,それがコスプレのようになってしまうのはなぜだろうか。熱く,汗臭く,男らしいファッションはトレンドによって持ち上げられていないということであろうか。

 ラーメンが国民的人気を勝ち取り,定番化してきた。ここ最近では色々なラーメンも市場に出回るようになってきて,人々は自分の好みに合ったラーメンを選択して消費することができる。自分が一番好きなのは家系ラーメンで,好みは「固め,濃いめ,多め」である。ミリタリールックにもそんな男臭さが許容されていいのではないかと思いつつ,そばをすすりながらダイエットに精を出している。