服飾方法論

ライフスタイルを包括的に考える

スーパーモデルが痩せすぎていることの何が悪いんだという行き場のない思い

フランス政府が去る12/17に痩せすぎたモデルの雇用を禁止する法律を可決したらしい。多くのブランドやファッションショーでランウェイを飾っていたあの素晴らしいプロポーションがもう拝めなくなるかもしれないと思うと中々寂しい限りではある。

そもそもなんでこうした運動が活発になってきたかというと,スーパーモデルへの憧れに始まり,過度なダイエットや行き過ぎた食事制限などを採用してしまった女性に健康的な被害が及び,最終的にはなんらかの臓器に悪影響を与えて,結果として亡くなってしまうというケースが頻繁に発生してきたからなのかなと思う。当事者であるスーパーモデルでさえもこうした危険性に侵されているのだから,まあ仕方がないことではあるけれど。

こうしたことが社会問題として取り扱われるようになってきたのは,世界中の人々がヘルシーな生活の動向をチェックしているからなのかなと感じる。女性に悪影響を及ぼすようなケースが頻繁に発生するように感じるのは,なにもそうしたケースの数が端的に増加したからというわけではなく,人々の思考がヘルシーになってきたからなのではないだろうか。別に好きなものを食べて,何もせずにゴロゴロしていてもいいけれども,グリーンスムージーを一食に置き換えたり,オーガニックな食材を好んで選択したりとか,2つ以上の選択肢からのチョイスが可能となっている場合に,よりヘルシーな方を好んで選択するようなトレンドがあるのだと思う。そうでなければ,日本マクドナルドは”入念”なマーケティングリサーチの結果として,ハンバーガーのセットでサイドメニューにサラダを採用しないでしょ。こうした選択的ヘルシー思考の最終到達点がスーパーモデルであることはまあ間違いないよね。めっちゃ綺麗だし,スタイルいいし,細いしそしてどこかパワフル。目標にするには大きすぎるぐらいだけれど。

そうこうして結びついた選択的ヘルシー思考とスーパーモデルであるけれど,仮に選択的ヘルシー思考の極値がスーパーモデルであり,健康への悪影響であるとするならば,欧州各国で盛んとなっているスーパーモデルやブランド,メゾンへの制限は甚だしくお門違いであるように思える。先に触れたフランスの例にしても単純な対症療法的メソッドであるし,一部の特権階級的な人々の職を奪っているだけ。もっと精力的に取り扱っていかなければならないのは選択的ヘルシー思考を取り入れている,もしくは取り入れるポテンシャルのある人々のリテラシーを上げていくことなのだと思う。

「好きな男性のタイプは?」という質問に対して「EXILEみたいな感じ〜♡」と答えられると,その娘を落とすに落とせなくなる。自分の身体に自信がないということもあるのかもしれないけれど,彼らは本業がEXILE。鍛えている間にもお給料は貰えるようなイメージ。これはスーパーモデルの例でも同じで,彼女たちはダイエットやエクササイズ,美容への執着心でもって生活が保証されているようなもの。そこを理解しないで,ただ闇雲にEXILEがやっていること,スーパーモデルがやっていることを追いかけるようじゃまだまだ頭が悪い。自分のポテンシャルとキャパシティを理解して,自らのライフスタイルの中から選択的に,無理なく取り入れられそうなものを取り入れていく姿勢が大事なんだよね。

こうした選択的ヘルシー思考を適当に取り入れることができるだけのリテラシーを育むことが最も大事で根本的なメソッドだと思う。今更,スーパーモデルの方を規制したところで,世の中のほとんどの女性はスーパーモデルが美しいということに気付いているから,このトレンドは止まりそうにないよね。まあ俺もEXILEに引けを取らない板チョコレートボディを目指したいわけだし。