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服飾方法論

ライフスタイルを包括的に考える

そろそろクリスマスだから

 気が付けば2015年も終盤に差し掛かっている。この時期のことを師走というのかわからないけれど,まあクリスマスやらお正月やらで身の回りも忙しくなりつつある。なんだかんだで去年のこの時期は「忘年会」に参加しすぎて忘れるものがなくなったし,今年もそうなるのだろうと思うと,日ごろ気になったことはこうしてログを残しておくのが得策なんだろうな。ということで,ここのところ人も街もこぞって浮ついている「クリスマス」についてのログを残しておきたい。

クリスマスの正しい認識

 クリスマスといえば,多くの人が「イエス・キリストの誕生日」であると見做しているけれども,実はこれはそもそも間違い。実際のところクリスマスは「イエス・キリストの生誕を祝う祭り」である。それではいつイエス・キリストは生まれたのかと問われるとそれはよくわかっていないらしく,一説によると聖書に記されているイエス・キリストが誕生したときに発生したイベントを天文学的側面から切り取った歴史に照らし合わせると,大体1月を過ぎたあたりにイエス・キリストは生まれたらしい。とはいえこれは一つの仮定であるし,厳密にいつ生まれたかはわからない。もういっそのことクリスマスに生まれたとしてもいいのではないかと思うのだけれども,まあそうも言ってられない事情がある。

クリスマスのルーツ

 その昔,キリスト教ローマ帝国に於ける国教であると認定されてから,いくつかの戦いがあったようななかったような。歴史的にはそうしたいざこざがあったみたいで,何かの拍子にゲルマン民族ローマ帝国に取り込む機会があったらしい。もちろん,もとはといえば彼らはキリスト教を信仰していたわけではないので,生活様式や食べ物とか,お祭りのタイミングやその意味合いなどはキリスト教徒のそれと異なっていた。

 ゲルマン人冬至の時期になると,不滅のシンボルとして常緑樹をたて,春の再来を祝いあうような祭りを習慣的に行っていた。いくらローマ帝国内部に吸収した適当なコミュニティーとはいえ,こうしたことを引き続き許していてはメンツが立たないキリスト教ではあるが,これを一切禁止するとなるとその反発は容易に想像がつく。そこでキリスト教は「お前らゲルマン人が祝っていたのは,実はキリスト教でいうところのこれなんだ」というような感じで半ば強引にその習慣を内部へと取り込むことによって,言い換えれば征服した異教徒の習慣や意見を取り入れることでもって,円滑な国家運営を進めるための1つの手段としたのである。

 ゲルマン人だけでなく,実に様々な部族が冬至の時期に今でいうところの忘年会か,お祭りを行っていた。というのもこの時期は日の出ている時間が短く,夜が長い。とりわけ照明設備などが整っているわけでもなかったので,長い夜をパーティーして楽しもうと思うのはどの時代も人類のサガなのであろう。しかもパーティー気分になれば男女の仲だってぐっと縮まって,愛を育むことが出来る。仕事ができない代わりに,こうした機会を設けることによって,新しい労働力の確保を意図していたといっても過言ではない。この点でいえば,クリスマスに愛をはぐくむ世界中のカップルははるか昔から受け継がれる人類のDNAを色濃く受け継いでいるともいえる。そこのあなたはどうだ?