服飾方法論

ライフスタイルを包括的に考える

アクセサリーを着用することに意味を見いだせるか

 少なくとも服装の基盤が生成できた人は,アクセサリーに関して興味を持ち始めることが多い。ウェア以外への投資をする余裕ができるようになったということである。とはいえ時計は生活必需品であってとりあえずの一本は持っているから,指輪なりネックレスなりブレスレットなり...そうしたアクセサリーへと投資の方向性が定まってくる。そんな中で気にかかるのはどのアクセサリーを買えばいいかということである。自分の服装に合うものは何か,数あるブランドの中から何を選択するかなど多くの疑問や問題が新しく発生し始めるのだ。

 例えば,GUCCIでスーチングを購入している場合は同ブランドでアクセサリーを揃えることが最適解であることは間違いないだろう。ブランドの精神や雰囲気はウェアからアクセサリーまで一貫しているからである。逆に言えばGUCCIのスーツにLOUIS VITTONのアクセサリーをしてみた場合はどうなるだろうか。ブランドの価値から切り取ると,総合的に評価されるときこの場合はとりわけ問題点があるようには思えない。しかしながら,両ブランドの精神や雰囲気は確かに異なり,それがお互い決して混ざり合うことのない原色であるかのように振舞うことに気が付けばそのスタイルはどこか春夏のBrooks Brothersでよく見かけるクレイジーパターンのシャツと似た印象を与えることになる。こういうことを考え始めるともはや何を身につければいいのかという思索から抜け出すことができない。この超戦慄迷宮を抜け出すためには豊富な情報とノウハウが望まれるであろうことは容易に察しが付くはずである。

 ウェアのブランドがもつ精神を,雰囲気を熟知しそれをもっともうまく引き出すために最良と思われるアクセサリーを選択するにはそのアクセサリーがもつ精神,雰囲気さえも理解する必要がある。言うまでもなく,どこの国にルーツを持つか,誰が始めたか,デザイナーは誰と仲がいいのか,職人はどういった人なのか。DSQUARED2のデザイナー2人が「自分たちが着たい服」をモットーにコレクションを発表しているように,そのブランドのデザイナーは自分たちが合わせたいアクセサリーを持っている。さらにアクセサリーブランドのデザイナーや職人もまたしかりである。自分たちのアクセサリーに合わせたい服装で彼らは生活しているから,これを参考にすることが最も有効で最短な経路探索の方法であることになる。

 ウェアとアクセサリーの組み合わせ最適化問題に関しては,特にシンプレックス法とか使う必要はなくて,とりあえずまねる。もちろん自分でつけたいアクセサリーをつけるということは否定はしないが。その詰めの甘さによって,その人となりが推測されていくことになることは間違いない。

 適当にアクセサリーをつけて過ごす日々からは脱却したほうがいいし,特にアクセサリーに必要性を感じないならば着用でさえもしないほうが身のためになるのではないか。