服飾方法論

ライフスタイルを包括的に考える

時計の代わりにスマフォを使う男をディスると男性の理想像が見えた

「スマフォがあるから十分です」

 「携帯があるから十分」という理由で腕時計を装着しないことについては,携帯電話の普及が一般化してきたあたりからこれまでずっと問題視されてきたように思える。科学技術は発展し,今日ではより高スペックな携帯電話が普及している。現在地はもちろんのこと,天気もわかるし株価や為替の推移などにもものの数秒でアクセスできるようになった。今となっては「スマフォがあるから十分」とさえ言えば,腕時計は愚か新聞も,テレビもパソコンでさえ無くても事足りるようになってきたのである。悲しいかな,特に若い世代の男性がこうした低水準の理論武装を用いて腕時計をしないことが多い。このような潮流にはなまこはかねてから反対をしてきた。何より,腕時計をつけないなんてぐうの音も出ないほどのカスであると。

腕時計派は決して理論的に優位ではない

 実際の所,スマフォがあればほとんどの場面に於いて事足りることは間違いない。地図を広げることもなく自分自身の位置をほとんど正確に理解して,目的地までのルートを算出してくれるし,朝一番にZIPを見ていなくても気になった時に最新の天気予報を確認することが出来る。ましてやゼンマイが止まってしまって正確な時刻を伝えることが出来ない時計よりも幾分高性能に時間を伝えてくれるからだ。確かに,スマフォ1つさえあれば腕時計なぞ要らないという理論は実に強固で論理的である。何が一番辛いかというと,これよりなまこが展開しようと思う理論というのが実に感情論的で甚だしいほどの理想論であるということだ。

腕時計の着用が薦められるべきいくつかの理由

 ここで,腕時計の着用をなまこが猛烈に薦める根拠となっているいくつかの理由について言及したい。その理由は以下の通りである。

(1)他人の注意を引くことなく時刻の確認が可能

(2)社会人に唯一許された装飾

(3)時計に関わる歴史,作成者の思想の共有

(4)1つのものを長く大事にするという精神の継承

 それでは上に上げたそれぞれの理由について考えていくことにしよう。

(1)他人の注意を引くことなく時刻の確認が可能

 スマフォを用いて時刻の確認をする場合は少なくとも,カバンあるいはポケットからスマフォを取り出して電源を入れるという動作が必要になる。仮に一瞬だけ見るならまだしも,ロック画面を解除して確認しようとさえすれば,これは直ちに「あ,こいつパズドラログインしたな」とか「あ,こいつライン確認したな」とかいう感じでネガティブな印象を与える。その点,腕時計は実に優秀で,手首にちらっと一瞥をやるだけで,時刻の確認が行える。無駄な動きも少なく,他人の注意を引くこともないために集中して商談だったり話し合いであったりに参加しているかのように振る舞うことが出来るのである。

(2)社会人に唯一許された装飾

 ほとんどすべてのビジネスマンは出社時に身につけられるものが限られている。なかでも装飾品として計上できるものといえば結婚指輪と腕時計だけであろう。特に腕時計は結婚しているかどうかに関わらず,すべての男性に着用を許された唯一の装飾品であるのだ。制服社会に於いて個性を出せとまでは言わないが,チーフやネクタイでさえも制限されてしまいがちな日本のビジネス社会では超自己満足的に個性を出すことが出来る唯一の手法であることは間違いがない。

(3)時計に関わる歴史,作成者の思想の共有

 時計は簡単に言えば精密機械であり,作成者が意図を込めた作品である。腕時計が作品であることについての議論はここではさらっと流させていただくことにするが,端的に言えば時計にはストーリーがあるということだ。そのストーリーに思いをはせる時間がとても有意義で貴重なものなのである。時計が持つストーリーに精神を燻らせることが出来るような余裕ある男こそ,われわれが求める男性の理想像の1つになるのではないだろうか。

(4)1つのものを長く大事にするという精神の継承

 時計の値段は決して安くない。上を見ればいくらでも高くなる。例えばヴァシュロンコンスタンタンの金ケースの時計を買ったとする。勿論のこと手巻き式であり,着用時にはぜんまいをまかなければならない。このひと手間でさえ時計のため,自分のためと思って厭わずにいられるか。そして,比較的やわらかい金という金属のケースを傷つけない,変形させないために自然と落ち着いた振る舞いをする必要が出てくる。気にしなければただのガジェットの1つともいえる時計に対して,細心の注意を払い自分の身を犠牲にするというスタンスが,そのアクションが男の理想像へと繋がっていくのではないだろうか。

気が付けば理想論

 結局のところ,腕時計を大事に扱う人,腕時計に重きを置く人というものは男性の理想像に自然と近づいていくのである。逆に言えば,腕時計を小ばかに,軽く扱うような男性は...ということである。男として肩で風を切って街を颯爽と歩く前には必ず腕時計を着用しよう。これが男性であるための第一歩になるのだから。