服飾方法論

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日本企業の相次ぐ不正発覚と動学的不整合性について

2017年の印象:度重なる不正発覚

 12月に入ったということもあり、今年一年の振り返りを始めている方も居るかと思うが、「2017年は名だたる日本企業の不正発覚が取りざたされた1年である」という印象が強くなりそうである。

  直近の例でいえば、東レ神戸製鋼などによるデータ改ざん及び品質不正がメディアを賑わせていることは間違いないであろう。とはいえ、最もメディアを賑わせているのは、角界の不祥事にかかる問題でありそうだが。

 上記2社の他にも、日産自動車三菱マテリアル系3社など、多くの企業で不正発覚が露出し、これがニュースとなっている。一般消費者に馴染みの深い有名企業から、B2Bでの有名企業まで、ありとあらゆる会社の不正発覚が問題となっているので、正直なところ、「またか...」といった感想を抑えずにはいられない。

 なぜ、このタイミングでここまで多くの不正発覚が露わになってきているのか、その理由はいくつもあると思うのだが、一つはコーポレートガバナンスやらコンプライアンスやらが大きく取りざたされ、その影響が少しずつ大きくなってきているということがあるだろう。新聞を読んでいても企業統治、多様性、社外取締役法令遵守など関わりある単語が連日のように紙面を賑わせていることが確認できる。

 不正発覚のルーツについて考え始めれば、これはこれで1つのエントリー消費せざるを得ないかと思う。ここで書き留めておきたいことは「動学的不整合性」のことであり、コーポレートガバナンスの話ではない。前置きが長くなったけれども、日本企業の不正発覚に係る問題について、動学的不整合性の観点から話を進めていきたい。

 

「動学的不整合性」とは

 「動学的不整合性」とは、Kydland,
F.E., and E.C. Prescott (1977) “Rules rather than discretion; the inconsistency of
optimal plans,” Journal of Political Economy vol.85, pp. 473-91. で定義された概念で、現在から将来にわたり、ある目的をよりよく達成するべく最も望ましい行動を決定するのに、現在の時点で最も望ましいとされた行動が、後に将来の時点になるとそれが望ましくなく、他の行動が最も望ましくなり、事前の決定が覆される性質のことである(*1。

 よくある例を挙げてみる。あるクラスを受け持つ教師が生徒に一定の範囲で勉強を行ってほしいという目的の下で、1か月後にテストを行うことを伝えるとする。生徒は1か月後のテストのために予め与えられた試験範囲の勉強を入念に行った。いざ、テスト当日となると生徒が試験範囲の勉強を行ったことで、教師が当初予定していた「一定の範囲で勉強を行ってほしい」という目的は達成されていることが確認できた。そこで教師は目的が達成されていることに加え、採点などに生じる事務的な負担を軽減するために、当該テストをキャンセルすることにした。それが現在の時点で最も望ましい行動であると考えたからだ。その後、他の教科あるいは範囲で生徒に勉強を行ってもらいたいという目的で、1か月後に試験を行うことをやはり告知する。それでは1か月後にどうなっているのかというと、生徒は勉強をしていないのである。「どうせ試験は行われないのだから勉強する意味はない」と判断をして、勉強せずに1か月を過ごしたのだ。そうすると、本来の目的であった「勉強を行ってもらうこと」がそもそも達成されないことになる。前回の試験に於いて最も望ましいとされた行動によって、生徒にとってほかの行動が最も望ましくなったため、事前の決定が覆されてしまったのだ。

 他にも試験前に勉強をしようとしていて、図書館で行うか自室で行うかという選択を迫られたときに、何らかの理由をつけて自室で勉強を行うという決定をした結果として、自室の様々な誘惑にひれ伏して結局のところ勉強が出来なかったというものも動学的不整合性で片づけることが出来る。初めて聞いた単語であるにも関わらず、私たちの身の回りでは意外と頻繁にその現象は発生していたことに驚きを隠せないのではなかろうか。

 

日本企業の不正発覚と動学的不適合性

 度重なる不正発覚を始点としてこのエントリーを書き始めているが、ここにきていま一度、なぜここまで数多くの不正が発覚してきたのかについて考えてみる。

 正直なところ、星の数ほど存在している日本企業において、データ改ざんなどによる品質不正などは日の目を浴びていないものがまだまだあるものだと思う。冒頭で触れた東レ神戸製鋼などの件は氷山の一角であって、これからも企業の規模を問わず同様のニュースが流れるだろう。特に2017年3月期が終わるタイミングに、こうした不正発覚が熱を冷ましていなければ、ここぞとばかりに数多くの企業が同様の発表を行うのではないかと心待ちにしている。不正発覚の駆け込み需要だ。というのも、このタイミングで問題を認知させ、改善への一途に片足を突っ込んでいるという姿勢を表明することで、一般消費者は勿論のこと、株主などのステークホルダーへ「当社の企業統治が正確に動作している」ことを印象付けることが可能であるからだ。

 しかしながら、少し立ち止まって考えて欲しい。その選択は長期的に見て正しいのだろうか。無論、正しいことは間違いないし、そうであってほしいものの、それによって生じるサンクコストに対して、その選択は合理的であるといえるのだろうか。

 結果論ではあるが、ある程度の品質不正は我々に影響を与えない。特に、三菱自動車に端を発した燃費不正の問題なんかはそうだ。車を買うときに表明されている燃費が購入後も(一定のストレスを与えたうえで)保たれているかどうかを確認している消費者なんて殆ど居ない。万が一、居たとしてもそこまで考えて行動する人はどうせプリウスを買っている。何より、車の購入の場合にはデザイン、メンテナンスなど、それよりも重要なポイントが山ほどある。神戸製鋼の件でも、東レの件でもこの不正が我々の身近に何か悪影響を及ぼすと想像がつく人はいないだろう。現に、長期間に亘って不正が行われていたのにも関わらず、安全性に関する問題は発生しておらず、企業側からの発信があるまでそれをそうと見抜けなかったのだから。それにも関わらず、何かしらのインセンティブが働いて、不正をリークすることで得られると想定される結果のために、一時的であるとはいえ、多くの被害を被ることは決して正しい判断でないように思える。

 そして、ステークホルダーにとってもこの動学的不適合性が重要なポイントとなってきている。多くの企業が不正発覚を発信し、これ以外にも潜在的不正発覚の存在が確実であろう現在において、当該企業への救済措置を施そうなどと考えてはならないのだ。一度でも救済をしてしまえば、不正発覚予備軍企業に対して、不正を発覚させるためのインセンティブが与えられる。芋づる式に不正が発覚した場合に必要となる救済の大きさは計り知れず、(既にそうであるかもしれないが)日本企業に対する信頼の失墜は計り知れない。

 何を軸にして、どのように長期的な評価を行うかによって行動が変わってくることは間違いないが、どちらにしても今は一度立ち止まって考える必要があるのだ。

総論

 2017年を象徴する大手企業の不正発覚問題は、端的に、まだ足場の固まっていないグローバルスタンダードへ見切り発車を行う大手企業のオナニーに過ぎないと言っても過言でないかもしれない(過言)。今後もメディアを賑わすであろう本件に係るニュースには引き続き注意していきたいと思うのである。

 ただ、このエントリーで述べている意見そのものが動学的不整合である可能性も否定できない。いっそのこと日本国内すべての企業が不正の可否を公表して、中華系企業の救済を頂いてしまえばよいのではないかと思う。

 

参考文献

(*1 土屋丈朗,「動学的不整合性の教え,http://web.econ.keio.ac.jp/staff/tdoi/c200411_2.pdf,2017/12/06閲覧